名古屋高等裁判所 昭和45年(う)445号 判決 1971年8月10日
被告人 村田旭
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
但し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用中、昭和四五年一月一四日脇坂行一に支給した鑑定料を除くその余の部分及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、岐阜地方検察庁検察官井野一郎名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人江口三五名義の控訴趣意に対する反論と題する書面記載のとおりであるから、ここに、これを引用する。
検察官所論の要旨は、原判決は、検察官の傷害致死の公訴事実に対し、罪となるべき事実として「被告人は、名古屋商科大学商学部商学科(会計学専攻)三年に在学し、同校応援団クラブに所属していた者であるが、昭和四〇年四月一二日(月曜日)正午過頃、名古屋市昭和区広路本町一丁目一六番地所在の同大学付属高等学校々庭内で、各種クラブ員等が夫々所属するクラブへ加入するよう新入学生を勧誘していた際、同校庭内体育館西側付近で、同大学合唱団クラブ員右学部産業経営学科四年生敷根元紀(当時二四年)が、先に声をかけて勧誘していた新入学生の一人に対し、被告人があとから声をかけて応援団クラブへ加入するよう勧誘したことから、被告人と右敷根との間に口論を生じ、憤慨した被告人は矢庭に革靴履きの右足で同人の左下腹部を一回蹴り上げ、同時に左手拳で同人の右側頸部を突く等の暴行を加え、よつて同人に左下腹部、右側頸部の各皮下組織ないし筋肉内血管網破綻の傷害を負わせたものである」と判示して傷害罪のみを認定し、致死の点については「本件公訴事実は、大略前認定の事実に引き続き、敷根元紀が前記各傷害により昭和四〇年四月一五日午前三時二〇分頃、愛知県一宮市四ツ峰町二〇番地敷根政敏方において失血死した事実を掲げており、右事実は元紀の右側頸部の皮下出血が死亡の直接の原因となつたとの点を除いては、前掲各証拠および司法巡査ら作成の捜査報告書によりこれを認め得る」とし、被告人の加えた左下腹部の傷害が原因となつて敷根元紀が死亡した事実を認めながら(一)敷根元紀が先天的に中等度の血友病に罹患しており、同人の死亡については右の病気が重要な影響を及ぼしたものであること、(二)敷根元紀の受傷から死亡までの経緯に、同人とその家族ならびに医師の手落ち、不注意が介入したと疑い得ることなどの理由により、右死亡の結果については被告人に責任を問い得ないとしているが、原判決が被告人に対し右死亡の結果についての責任を認めなかつたのは、事実誤認によるか、刑法二〇五条一項の解釈適用を誤つたものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、当然破棄せらるべきものであるというのである。
所論にかんがみ、記録を精査して検討してみるに、原審において取調べられた各証拠を綜合すると、(一)被告人が原判決の罪となるべき事実として記載されているとおりの経緯により、原判示敷根元紀に対し暴行を加え、よつて同人に対し左下腹部、右側頸部の各皮下組織ないし筋肉内血管網破綻の傷害を負わせたものであること、(二)敷根元紀が昭和四〇年四月一二日正午頃右傷害をうけたのち、原判決の理由中に説示しているとおりの経過によりその説示しているとおりの症状を訴え、且つこれに対し、本人、その家族、医師により応急措置ならびに医療行為が行なわれたこと、(三)にも拘らず同人は昭和四〇年四月一五日午前三時二〇分ごろ、愛知県一宮市四ツ峰町二〇番地敷根政敏方において、被告人の前示暴行により受けた左下腹部の皮下組織ないし筋肉内血管網破綻に原因する失血により死亡するに至つたものであること、(四)敷根元紀は先天的に中等度の血友病患者であり、(血液凝固の第八因子または第九因子の欠乏するもの)通常人であれば、本件程度の軽い左下腹部の皮下組織ないし筋肉内血管網破綻による出血があつたとしても、人体の自然の止血機構により外見に表われぬうちに止血治癒するものであるが、血友病患者の場合には自然の止血機構に障害があり、これがために本件のごとく遂に失血による死の結果をも生ずることがあること、(五)被告人は本件行為当時、敷根元紀が血友病者であることを全然知らなかつたものであることの事実を夫々認めることができる。
以上の事実関係からすると、敷根元紀の失血による死因は、被告人が同人に加えた原判示暴行による左下腹部の皮下組織ないし筋肉内血管網破綻に基づく失血と、同人がたまたま血友病という特異の病質者であつたこととが相まつて発生したものであることが認められる。この場合被告人の原判示暴行による敷根元紀の左下腹部の皮下組織ないし筋肉内血管網破綻に基づく失血は、通常人の場合であれば自然に止血治癒するものであるから、たとえ同人が右失血に原因して死亡したとしても、医学的には同人の血友病という特異の病質がより強く影響して発生したものであることはこれを否定することができず、従つて被告人の原判示暴行が、敷根元紀の死亡に対し唯一かつ直接の原因をなしているものとは認められないけれども、致死の原因である暴行は、必ずしもそれが死亡の唯一かつ直接の原因であることを要するものでなく、たまたま被害者の身体に特異の病質があつたため、これと相まつて死亡の結果を生じた場合には、右暴行による致死の罪の成立を妨げないと解すべきことは所論引用の最高裁判所判例(昭和二五年三月三一日第二小法廷判決、刑集四巻三号四六九頁。同三二年三月一四日第一小法廷決定、刑集一一巻三号一〇七五頁。同三六年一一月二一日第三小法廷決定、刑集一五巻一七三一頁。)の示すところであり、また被害者に特異の病気さえなかつたならば致死の結果を生じなかつたものと認められ、しかも行為者である被告人が行為当時その特殊事情のあることを知らず、また致死の結果を予見することができなかつたものとしても、その暴行が右の特殊事情と相まつて致死の結果を生ぜしめたものと認められる以上、その暴行と致死の結果との間に因果関係を認める余地があるといわなければならないとの最高裁判所判例(昭和四六年六月一七日第一小法廷判決。)があり、これらの各判例に示された判断は、そのまま本件の具体的事案にも妥当するものと考えられる。弁護人は、敷根元紀が本件暴行により受傷したのであるから、血友病患者であることに留意し、本人、その家族、医師などの冷静な病状判断と何等かの応急措置ないしは適切な医療行為を施していたならば、同人の過去の経験にかんがみ致死の結果は当然に回避し得たにも拘らず、これらの対策を欠いたために本件致死の結果を生じたものであつて、本件致死の原因は、むしろ応急措置ないしは適切な医療行為をしなかつた本人、その家族、医師の手落ち、不注意によるものということができるから、被告人の本件暴行と敷根元紀の致死の結果との間に因果関係を認めるのは相当でなく、所論引用の判例は何れも本件の具体的事情とは異る事案に関するものであつて、これをそのまま本件に適用することは極めて妥当性を欠くものであるというけれども、本件の各証拠によれば、敷根元紀が本件暴行をうけて受傷したのち死亡するまでに至る間の同人の病状、本人およびその家族のとつた応急措置ならびに係医師の行なつた医療行為は、原判決の理由中に説示されているとおりであることが認められ、これらの措置は、鑑定人脇坂行一の鑑定書によれば、「本例では受傷後当初は比較的訴えが少なく、翌日も外部から認められる出血はん点が比較的少なく、従来も止血剤の投与などで止血している場合もあるので、本人、家族、医師らもそれ程重大な結果を招来するような出血が続いているということを予想することが困難で、そのため輸血らの必要な措置が遅れたものであると考えられる。殊に本例では出血が外部でなく比較的深部であつたことが予後に対する判断を困難にしたものと思われる」というのであり、当裁判所の同人に対する証人尋問調書によつても、本人、家族、医師に格別の手落ち、不注意があつたものと認められる余地はない。従つて敷根元紀の死因は、前説示のごとく被告人の原判示暴行に基づく失血と、同人が血友病患者であることの特殊事情とが相まつて発生したものとみるのが相当であり、これに反し、むしろ本人、家族、医師の手落ち、不注意が主たる原因であり、従つて被告人の原判示暴行と右致死との間に因果関係を認めるのは相当でないとする弁護人の主張は採用することができない。
以上のとおりであるから、原判決が、本件において被告人が敷根元紀に加えた暴行による原判示左下腹部の傷害が、同人の死因であることを認めながら、右暴行と致死の間に因果関係を認めるのが相当でないとし、傷害致死罪の成立を否定したのは、結局因果関係の解釈、適用を誤つたものであつて、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により当裁判所においてさらに判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、名古屋商科大学商学部商学科三年に在学し、同校応援団クラブに所属していた者であるが、昭和四〇年四月一二日正午過ぎごろ、名古屋市昭和区広路本町一丁目一六番地所在の同大学付属高等学校々庭内で、各種クラブ員等が夫々所属するクラブへ加入するよう新入学生を勧誘していた際、同校庭内体育館西側付近で同大学合唱団クラブ員右学部産業経営学科四年生敷根元紀(当時二四年)が先に声をかけて勧誘していた新入学生の一人に対し、被告人があとから声をかけて応援団クラブへ加入するよう勧誘したことから被告人と右敷根との間に口論を生じ、憤慨した被告人は矢庭に革靴履きの右足で同人の左下腹部を一回蹴り上げ、同時に左手拳で同人の右側頸部を突くなどの暴行を加えて同人に対し左下腹部、右側頸部の各皮下組織ないし筋肉内血管網破綻の傷害を負わせ、よつて昭和四〇年四月一五日午前三時二〇分ごろ、愛知県一宮市四ツ峰町二〇番地敷根政敏方において、前記左下腹部の皮下組織ないし筋肉内血管網破綻による失血により死亡するに至らしめたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するところ、犯罪の情状憫諒すべきものがあるので同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期範囲内で被告人を懲役一年に処し、諸般の情状を考慮し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用(鑑定人脇坂行一に支給した鑑定料を除く)及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、被告人にこれを負担させることとする。
よつて、主文のとおり判決する。